• EXPERIENCE HOKKAIDO

冬の小樽を柔らかなキャンドルの光が彩る -「小樽雪あかりの路」、ボランティアススタッフを体験

冬の小樽を柔らかなキャンドルの光が彩る

小樽はその昔、北の貿易港として栄えた。
古くは江戸時代後期、北海道の豊かな自然の恵みを積み込んだ北前船(※)によって、日本海沿岸や関西、瀬戸内諸国との貿易が行われた。中には琉球を経由して、台湾、中国にまで流通した商品もあったという。
明治に入ると鉄道が引かれ、石炭の積み出し港としての役割を担い、昭和には樺太との中継港として隆盛した。 小樽はむしろ、札幌よりも重要な北海道経済の中心地、物流の拠点だったのだ。

運河沿いに並ぶ倉庫群はガス灯にぼんやりと照らされ、市内に現存する石造りの建物とともに往時の賑わいを今に伝え、郷愁を誘う。
その小樽で、1年で最も寒さが増す2月。「小樽雪あかりの路」は開催される。
港湾都市小樽が持つノスタルジックな雰囲気と、市民手作りのスノーキャンドルのゆらめく灯りが相まって、ほんのりと心を暖かくしてくれるイベントだ。

“ゆめの大地”ジャーナルの第一回目は、北海道を代表する冬のイベントのひとつ、今年で25回目を迎えた「小樽雪あかりの路」に、ボランティアスタッフとして参加した体験を交えてレポートしてみたいと思う。

※北前船:江戸時代から明治時代にかけて日本海沿岸を巡り活躍した商船。寄港する港で船主自身が商品を売買して利益を得る。明治期に入り、情報伝達が高度化するにつれ、物価の地域差が少なくなった事と、陸路が発達した事により、次第に役割を終える。

「小樽雪あかりの路」の誕生、そして今。

手宮会場のワックスボウル

「小樽雪あかりの路」は、1999年に国民体育大会のスキー競技が小樽で開催されるに当たり、「冬のイベントとして何かできないか」という市民の声から誕生した。
小樽出身の詩人、伊東整の詩集にちなんで名づけられ、2018年には国土交通省の「手づくり郷土賞」のグランプリを受賞。今では冬の小樽の風物詩として広く認知されている。 開催規模や期間は年によって異なるが、2023年は10日間にわたって開催された。

夕暮れ時、運河沿いの遊歩道や、旧鉄道路線跡地をはじめ、市内のいたる場所に手作りの雪や氷のオブジェが設置され、ローソクのゆらめく灯りが小樽の街を包み込む。
そして訪れた人々は、賑やかさとは離れた夜の銀世界でのイベントで、雪と光の調和を思い思いに楽しむ。
その様子はまさに、伊藤整の「雪あかり」の世界に重なる。

ボランティアスタッフを体験。

今回、ボランティアスタッフを体験させて頂いたのは、4つあるメイン会場のうちの一つ、手宮線会場だ。
手宮線会場は、1985年に廃線となった手宮線の旧色内駅付近、「北のウォール街」と呼ばれた小樽の中心部のほど近くを会場としている。
手宮線は、官営幌内鉄道によって、1880年に札幌-手宮間で開業した北海道で最初の鉄道だ。2年後には幌内まで延伸し、廃線になるまで、主に石炭や小樽特産の海産物などを輸送した。現在、跡地は公園化され、市民に親しまれている。

レジェンドと呼ばれる千葉さんに手ほどきを受ける。

「レジェンド」千葉洋さん

この会場を取り仕切るのは、ボランティアスタッフに参加されて16年目の千葉洋さんだ。千葉さんは毎年、居住地の仙台から「雪あかりの路」の時期に合わせて北海道を訪れる。
「親しい知人にしかここに来ている事を話していないので、仕事関係の人には『毎年どこに行っているんだ?』と不思議がられている」と笑って話す。
その千葉さんに教わりながら、実際に制作体験をしてみた。
任されたのは、雪で作られた腰ほどの高さのある円筒形の台座の上に作るオブジェ。台の上に自由に雪で造形を施していく。
「キャンドルが置けるように真ん中にスペースを作っておいてね」。 「この型を使うと良いよ」。
千葉さんのレクチャーは的確で簡潔だ。

オブジェ作り体験

この日の気温は+2℃と、この時期の小樽にしては暖かい方だが、さすがに雪に触れていると手も冷たくなってくる。
千葉さんのアドバイスを頭に置きつつ、いくつかのオブジェの「元」を作り、ああでもないこうでもない、と並べてみる。
手宮線会場は、「小樽雪あかりの路」が開催されるようになった当時の光景を今に残す会場だ。ワックスボウルで作ったキャンドルホルダーやスノーキャンドルの立体的な雪あかりが美しく、多くの方が記念撮影を行う。
その会場のオブジェのひとつを担当するのだから責任重大だ。 置いては移してをしばらく繰り返し、どうにか出来上がった。

「あぁ、上手く出来たじゃない」。『師匠』である千葉さんに褒めて頂き、ほっと胸をなでおろす。
早速、親子連れが写真を撮って行く。どうにか役割を果たせたようだ。

ボランティアスタッフは国際的。

アンさんが作ったうさぎ

手宮線会場でのオブジェ制作中に、韓国から来られたボランティアスタッフのアン・ジョンヒさんに、とても流ちょうな日本語で話しかけられた。 アンさんは、コロナ禍で開催が見送られた昨年度を挟み、今回が2回目の参加だそう。 参加のきっかけは、「韓国も冬は同じように寒いけど、雪景色になる事が少なく、北海道で一面真っ白な雪を見てみたかったから」だとか。 「お祭り期間中、色々な国の方と交流できるのも楽しい」と笑顔を見せる。

「小樽雪あかりの路」では、日本国内だけでなく、海外からのボランティアスタッフも活躍する。今年は、韓国や台湾からの参加があり、台湾ではボランティアスタッフ向けのツアーが組まれているのだとか。会場に居ると、色々な方に笑いかけられ、話しかけられる。アンさんもそのうちの一人だ。

「ほら、このウサギちゃん、私が作ったの。かわいいでしょ」。
雪の壁にいくつか開けられた穴の中、小さなウサギがこちらを向いている。
その可愛らしいウサギを指さしてアンさんはにっこりと笑った。

そして静かに
「雪あかりの路」がはじまる。

日没が迫る16時半ころ、火の灯されたローソクが、会場のオブジェやスノーキャンドルに入れられていく。点火を行うのもボランティアスタッフだ。
日中、白く輝いていた雪は、夕やみが迫るごとに青みを増し、ゆらめくローソクのオレンジ色の炎が、オブジェの輪郭をぼんやりと照らす。

今年、完成100年を迎える小樽運河でも、小樽のガラス工芸の発展の礎となった「浮き球」にローソクの火が入れられ、200個が水面に浮かべられた。運河を挟んで海側には旧倉庫群が立ち並び、山側には青白いガス灯とオレンジ色の街路灯が並ぶ。そこに、ボランティアスタッフが製作したオブジェやスノーキャンドルが彩りを加える。

17時頃にはすっかり準備が整い、時間と共に夕闇と灯りのコントラストが増す。会場の人出も増えてくる。そして、静かな「小樽雪あかりの路」が始まる。

あゝ 雪のあらしだ。
家々はその中に盲目になり 身を伏せて
埋もれてゐる。
この恐ろしい夜でも
そつと窓の雪を叩いて外を覗いてごらん。
あの吹雪が
木々に唸つて 狂つて
一しきり去つた後を
気づかれない様に覗いてごらん。
雪明りだよ。
案外に明るくて
もう道なんか無くなつてゐるが
しづかな青い雪明りだよ。

(詩集『雪明りの路』より「雪夜」伊藤整 1926年)

星型のオブジェ
オブジェ作り体験で作ったオブジェ
うさぎのオブジェがが浮かび上がる
運河に浮かぶ浮き球
ローソクが入れられた浮き球
運河沿いのオブジェ
星型のオブジェ
オブジェ作り体験で作ったオブジェ
うさぎのオブジェがが浮かび上がる
運河に浮かぶ浮き球
ローソクが入れられた浮き球
運河沿いのオブジェ

Editor

editor-yamauchi

山内 麻美

ライター

北海道オホーツク地方出身。北海道を離れてからその魅力に気づき、家族と共にUターン移住をした道産子。好きな事は自然の中で焼肉をすることと、愛犬とフリスビーで遊ぶこと。北海道のゆっくりとした時の流れのなか、スローライフを送りながら観光スポットやグルメなど、体験を通して魅力をお届けします。